ルネッサンスの時代、ダヴィンチやミケランジェロに代表される創造者達は国家的事業、建築、絵画や彫刻、人々の生活に関わる些細なものまで、アイデイアを練り、表現(デザイン)してきました。その精神は脈々と受け継がれ、現代のイタリアの建築家達も様々なものを設計・デザインする活動をしています。人々は時に彼等をダヴィンチの末裔達と呼びます。

 少年の頃このようなイタリアの建築家の姿を知った事が、私が建築家になりたいと思うようになった始まりでした。そして、30才になってから7年間、私の夢の国で働き生活する機会を得ました。イタリアからは多くの刺激を受けましたが、特に日常生活の中で文化を蓄積そして継承してゆくことへの人々のこだわりには学ぶところが多くありました。
西洋の都市=街=建築は、歴史と言う評価軸において重要な位 置を占め、常に歴史を通して語られてきました。つまり西洋では建築は歴史となるために時間に耐えるものでなくてはなりません。

 古代の人々が自分自身の固有の建築言語を作り上げ、そしてそれらは今日も古典言語として使われている訳です。偉大な建築は、たとえそれが廃墟になったときにも、その魅力を失うことはありません。むしろその魅力はときにはさらに大きくなることさえあります。ミケランジェロは彫刻の傑作はたとえ階段から落ちて砕けても、傑作であることに変わりはないと言い残しています。

進歩すること「進歩」とは文明が生きていること、常に何かが後から生まれてゆくことを示すと考えます。現代に属しながら、未来の人々に向かって、我々の時代を証言する必要があります。「時代の精神」を後世に残す責任があります。

 日本においても、文化、表現方法は異なっても、この時代の精神を後世に残すことは行われてきたと思います。しかし、現代の日本では残念ながら過去の歴史の多くは途切れ、又新しい歴史が継承されつつあるとは言えません。多くの建築やデザインは時代の経済活動と言う掟に縛られて、大切なもの"文化を継承していくこと"を忘れてしまっています。その多くは商品として消費されてしまったようにも感じられます。

混沌とした現代日本の建築家・デザイナーに求められているのは、時間に耐えられるビジョンを持つ事ではないでしょうか。

 建築で言えば、空間に過去と未来をつなげる意味を埋め込むことになると思います。決して建築家の「作品」ではないはずです。商品で言えば、奇異を衒うのではなく日本のベーシックな商品をデザインする事なのではないでしょうか。 私は作品ではなく「仕事:ワークス」と呼びたいと思います。

そして、「時代の精神」を表現する事は、

   現実的であるより感覚的であれ
   存在性よりも記憶的であれ
   規則というより好みであれ
   意識と言うより感動であれ

と言えるかもしれません。
生活にこだわって人生を楽しむ事から始まると考えます。

私達は常にこのような視点から都市から身の回りに存在するものまで、バランスのとれたデザインを実践したいと考えています。その意志を込めて高市 都市・建築・デザインを設立しました。

代表 高市 忠夫